京都大作戦で自分が老害になったと打ちのめされた話
どうもヒトツメサイクロプスです。
今年も行ってきました京都大作戦。
ライブレポート書こうと思ったんですけどそれよりも面食らったというか、どうしようもない気分になってしまったので備忘録として個人的な感想書いて余力があれば書きます。
ほぼ愚痴になってしまうので申し訳ない。
結論から言うと、源氏の舞台つまんねえなってなった自分に絶望しました。
本当に面倒な大人になってしまった
誤解して欲しくないのはアーティストには本当に一切不満がないです。
来るメンツがクソであるとか、聞きたかった曲やらんかった!!!とか、そんなことはライブ行ってたらよくあることなのでこんな気持ちにはなりません。
フロアの雰囲気がガラッと変わったように思いました。
競うあうように曲が始まると同時に大きなサークルを作ってたら、ついにモッシュが完全に止まった。(見えてないだけだったかも知らんが・・・)
みんな手を叩いて真ん中を見ている。
空いている中でワーワーしてたらベイブレードみたいに外に弾かれた・・・
ワイワイするなら、スポーツのように競って飛んでいるダイブか、曲が始まったらさんざん待たされてサビで中央まで行くまでの間に気持ちの冷めるサークルモッシュかどっちがいい?と言われているようで、みんな一緒にが楽しいんだろう?とアーティストでもない奴らに思わされるようで反吐が出ました。
なので今回は棒立ちで距離を置いて見ることが多かったです。
こんなもん、どこのフェスやイベントだって多分やってるだろうしもう常識なんでしょう。
ただ、京都大作戦でさえそうなってしまったのかと思ってしまった。
そして、そう思う私は周りから見たら面倒くさい客になっているということを思い知らされた。
2010年から京都大作戦に行かせてもらって早10年。
ロキノン系と呼ばれているCDJとかに行ったら、もうその時のノリ方はもうなく、サビで潰れるのを待つ回らないサークルモッシュと、退場したくなくてセキュリティの手前で降ろしてもらうダサいダイブと、数人で組んでトーテムポールと化しているリフトとかそんな感じ。
まあいろんな人が集まるからな………そりゃあそうなるやろ~〜
と思っていながら大作戦だけは、そこらかしこでモッシュが起こってテキトーにサークル作って一人一人が思い思い好き勝手に、周りを助けながらやってるとこっちも勝手に思ってました。
大作戦も同じになってるじゃねえか。
変わらずアーティストの思い入れは他のフェスよりも熱いものがあるけども。
ここで思いました。「もうそんな自分のノリやスタンスが時代遅れ」なのだと。
これが世代交代なんだと。
そして、その輪の中には自分は入りたくないと思ってしまっただけなのだと。
その中でも見えた希望
こんなこと言ってますが常に絶望していたわけではないです。
牛若の舞台が本当に輝いて見えました。
参加するアーティストは嬉しい半面、源氏の舞台に上がりたいという思い。
そしてそのお客さんはその思いに応えようとアーティストにぶつかり合っているように思えました。
どのアーティストもこの瞬間にいてよかった!と思うことがありました。
二度とはこの雰囲気を味わえない刹那的な感じをこっちが感じたんだよな・・・
今考えれば、それは恐らくライブハウス的な感覚で、私はライブハウスが好きなんだなーと思いました。
大作戦もフェスだもんなしょうがない。
これから
感情がグッチャグチャの状態でこの記事を書きなぐり、ようやく1ヶ月以上経って整理できました。
自分はフェスよりもライブハウスがいいんだなと再認識しました。
基本一人行動ってのもあるからなのか・・・
ブログは続けていきたいので、まあライブはいろいろ行っているのでそこらへんを簡単に書ければええかなーと思います。
ではまた。